人も歩けばなにかにあたる

本当は山行レポートを書く予定ですが、なぜかまずは今秋、東海道五十三次を徒歩で一気に歩いた記録から。

東海道五十三次徒歩の旅 12日目(桑名~関)

10月3日(金)

犬も歩けば棒にあたるように
ひとり旅も続けていれば僕なんかでも人に出会う。
この日は桑名から関まで約44kmの道のりを歩いた。
歩き始めからまったくペースがあがらず
かなり苦しい歩行になった。

宿についたのは9時半。
今回の宿は漫画喫茶ではない。
関の宿場にある古民家のゲストハウス「石垣屋」だ。
ゲストハウスに泊まるのは人生初だったが
とても心地よい空間だった。

寝る前までの時間、各自が自分の食料を持ち寄り
談話室でほぼ初対面の人たちと話す。
この旅で、こんなにたくさんの人と話したのは初めてだ。
旅好きな宿主が始めた宿で
全国津々浦々、車、バイク、チャリ、徒歩と
さまざまな旅人を迎え入れている。
なので、ここでは徒歩で東海道を歩くという話がまったく浮かない。
むしろ、10人ほどいた宿泊者のなかのひとりの女性が
来週から僕と同じように東海道を歩いて踏破する予定なのだという。
先輩として!?いろんな注意事項を語ってしまった。

時間に余裕があるからこんなことをやっているけど
実際には歩き通しで、1日の行程には実は余裕がない。
「もっと人と話した方がいい、それが旅の醍醐味だ」
と、宿主は教えてくれた。

明日から、もう少し人と話すことを意識してみよう。
確かに歩くことに一生懸命で
意気投合できる超絶かわいい女の子には出会っていない。(翌朝のFBより)

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東海道五十三次徒歩の旅 11日目(新安城~桑名)

10月2日(木)

時刻、フタサンマルマル。桑名駅周辺。
「歩行者の状況は?」
「歩行距離、約5万2000m。行動時間、約16時間。
左足のかかとが痛みで地面につけません。限界に近いですね」
「この辺に休める所はあるの?」
「シャワー付の漫画喫茶はこの辺にありません。
ビジネスホテルはいま安い所をあたっていますが、どこも予約でいっぱいです」
「状況は芳しくないわね。四日市方面はどうなの?」
「約1万4000m先にありますね、シャワー付の漫画喫茶が。
ただ、時速4kmで歩いても3時間半で到着予定時刻は深夜2時半です。
歩行者のこの足の様子だと、とても3時間半で着くとは思えません。
4時間、いや、時速3kmほどなので、5時間近くかかるかと」
「やはり、多少経費がかかってもここは身体を休めるべきね」
「特捜班から入電。大浴場付きホテルが空いているそうです」
「よし、少し高いけど今夜の宿はそこにしましょう。直接向かうわよ」
「あの、予約はしましょうか?」
「大丈夫よ、もうそこに見えてるわけだし。行きましょう」

「大変です!ホテルが予約でいっぱいだそうです」
「なんですって?!さっきは空いているって言ったじゃない」
「そうなんですが、まさかこの5分の間で埋まってしまうとは…」
「今日は平日よ。いったい桑名で何が起こっているの?」
「ああぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」
「歩行者が壊れました。そして、完全に沈黙…」
「無理もないわ。一度もう歩かなくていいと思ったんだもの。
それをいまから14km歩くだなんて、35歳の少年には厳しすぎるわ」

「歩行者、動き出します。どんどん加速しています。
時速3、4、5…、これまでにない速さで歩いています。まさに競歩です」
「動けるわけないのに。やめなさい、身体が壊れちゃうわ。
明日以降も歩かなきゃいけないのよ」
「うわぁーーーーー」

「歩行速度が落ちませんね。かれこれ1時間近く歩いています。
このペースだと2時半に着くかもしれまんね」
「早く着いて、早く寝るという考えなのね」
「前方に○○カフェという文字肉眼で確認。Google先生に聞いてみます」
「漫画喫茶なの?まだ5kmほどしか進んでないわよ」
「ダメです。先生も解析不能です。あっ、新たに文字が読めます。
シャワー完備、です。パターン青。漫画喫茶です」
「まさに渡りに船ね、入りましょう」

Google先生でも解析できない突然の漫画喫茶の出現。
これも東海道53次補完計画の一部なの?

という昨日のお話。(翌朝のFBより)

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東海道五十三次徒歩の旅 10日目(吉田・豊橋~新安城)

10月1日(水)

僕は歴史大好き!ってほどではないですが
見たり、聞いたりすると、すごいなーとは思います。
そんな僕もいっとき新撰組にはまりました。
(もはや記憶が抜け落ちていますが)
歩いていると、街道沿いに
法蔵寺という古いお寺がありました。
徳川家康が幼少期を過ごしたお寺として有名なようです。
立て看板には近藤勇首塚と、
おまけのように書いてありました。
首塚なんてよくあるし、まぁ、昔のよしみで
見てみるかと寄ってみました。
で、首塚の前の説明書きを読んでみると
・処刑後、三条大橋に首が晒される
・その首を3日後に仲間が盗み出し、仲のよかった和尚に埋葬をお願い
・法蔵寺に転任していた和尚は、ここに石碑を建て密かに埋葬
・世の中ことをはばかって石碑を土で隠す
・そのまま忘れ去られる
・昭和33年、お寺の資料を調査してると、首塚の記述発見!
・銅像を建て供養
って、なんか本当っぽい!
近藤さん、あんたここにいたんだね。
ゴールは図らずも、京都三条大橋。
近藤勇が亡くなったのが35歳。
現在、わたくし35歳。
未だなにも成し遂げず近藤さんと違って志もなんにもないわけですが
五体満足であんたが生きた京都をめざす!(翌朝のFBより)

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